会の田代さんの開会宣言から、鎌田さんからの会長挨拶(KSN活動と講演会について)で講演会が始まりました。
寿命が延びているが、平均寿命と健康寿命の差が約10年あり、健康寿命を延ばすには、笑いと身体活動が重要である。高齢者のイメージとして、優しい、可愛い、穏やか、物知り(ネットを除く)、料理上手とのこと。また、認知症のイメージについても話された。 「老齢」時代をどう生きるかにつては、好きなことを生きがいとして、やりたいことを無理せずに楽しむことが大事と話された。また、参加者へ家、池、木、人、太陽、風などの絵を描いてもらって視覚的認知(環境や性格)テストが行われた。 最後に、健康な生き方として3K/2M/1H+1を推奨しました【3K:転ばない、風邪をひかない、孤立しない。2M:無理をしない、ムカつかない。1H:離さない(外出時物を)。+1:過去と他人は変えられないが自分と未来は変えられる】。
県民に広く愛される県歌「信濃の国」に込められた誇りや郷土愛、そして山々に囲まれた内陸の地形が生み出した地域ごとの個性が紹介された。
長野県の成立過程としては、分断(松本市と長野市)と統合(信州として)の歴史があったとのこと。
昭和30年代の農村での子供時代は、田植えや収穫などの農作業の手伝いあり、現在は機械化により子供の手伝いは減少したとのこと。
また、蚕の養殖、食料の保存方法、伝統食文化としての、おやき、野沢菜、そば、そして、昆虫食(イナゴ、カマキリムシの幼虫、ヘビトンボの幼虫など)などを話された。
事件は1862年、生麦村(現在の横浜市鶴見区)の東海道上で、川崎大師へ散策中の英国人4人と薩摩藩の行列とが遭遇し、思わぬ形で殺傷事件が起きました。
事件の経過では、行列と外国人グループがすれ違いながら進んでいたが、言葉の壁と礼儀の違いが原因で衝突に至り、リチャードソンが殺害され、残り3名が神奈川のアメリカ領事館に逃げ込んだ。
事件の背景として、外国への対応をどうするか、幕府の対応力の限界と薩摩藩の権力拡大の意図がありました。
事件の結果、イギリスと薩摩藩に賠償金が要求され、幕府は事件の処理に腐心しますが、翌年鹿児島で薩英戦争となり、英国艦隊の実力を知ることになります。
薩摩藩は、この事件をきっかけに、尊王攘夷から倒幕へと向かい、明治維新へと進みます。
最後に後田さんから講演の感想、お礼の挨拶で講演会を無事終了しました。
参加者の皆様にはアンケートにご協力頂きありがとうございます。
また、一部機材不良があり申し訳ありませんでした。今後アンケート結果も含め改善していきたいと思います。
参考資料:講演会チラシ 【担当:田代 写真提供:飯島、横須賀】