昨日、11月二回目の「若葉」でした。Beltonさんのテキストも最終章に入りました。
    薄いテキストですが、一冊を読み切るにはかなりの時間がかかります。今のテキストはラダーシリーズの本で、オリジナルの本の内容を、語彙を少なく、易しく書き直したものです。
    Beltonさんのオリジナルな本は10,440語で書かれたものですが、今読んでいるラダーシリーズのテキストは1600語以内で書かれています。
    とは言っても、なかなか読み出のある本ではあります。
    時には、メンバーには、文章の意味が取りにくい、あまりにも回りくどい、しつこい、理屈っぽい・・・・という印象を持たされる場合も多々あるようです。
    また、うまく訳せない、自然な日本語にならない、でも原意は十分理解できる、・・・・ということもあるようです。
    うまい日本語訳ができないと、十分理解したことにならない・・・とメンバーの方は、感じるようでした。
     Over the course of four decades, Japan has given me so much. 
    この文章は、英語の単語を無視して「過去40年の間、日本は私にとっても多くの事を与えてくれた」と訳して、原文の意味を理解した、と思ってもいいと思うのです。
    でも、厳密に、高校時代のテスト的に考えれば、上の文章は100点でしょうか。
    いや、もっと原文の単語を省略しないで訳したいと思うクセが私たちにはあるようです。
     Over the course of four decades・・・・・を原文の単語を省略しないで訳したいと、多くの私たちは思うことでしょう。decadeは10という単位です。
    4x10=40・・・ということです。the courseをどう訳す?
    「40年の間」と訳していいのか?
     It has given me a wife, children and grandchildren.
    「日本は私に妻を、子供を、孫を与えてくれた」・・・こんな日本語訳でいいのか?
    ですよね。英文は、そう書かれていて、意味は理解できる、でも日本語としては、ちょっとおかしい。さて、どうする?
    もっと複雑な文章も出てきます。ぎこちない日本語には訳せる、でも自然な日本語にはできない・・・というジレンマ。
    私の考えは、「自然な日本語」にできなくても、原文の意味が分かれば、十分、本当に充分、と思うのです。
    自然な日本語、しかも原文の単語を省略していない、というのは翻訳家の問題、ピリアド、です。
    例えば、I like Japan.  「私、好きです、日本を」と訳して、文意を理解する、で十分です。
    「私は日本が好きです」なんて訳す必要はありません。
    それは翻訳家の問題。翻訳家は前後関係によっては「俺、日本、大好きなんだよな」と訳すことだってあります。
    それは翻訳家の問題です。
    うまい日本語は、必要ありません。ぎこちない“意味取り”でいい、と思うのです。
    私の、長い経験からの教訓・・・・です。
記事:鶴本