英語サークル若葉

2021年11月15日(月)

昨日(11/15)は第三月曜日、私たちは「若葉」で、英語を勉強しました。
C. Beltonさんのエッセイがテキストです。
前回もご紹介しました、穴のあいた、片方だけの、“落とし物”の靴下。
すぐに捨ててしまおうとした、イギリス人のBeltonさん、日本人の奥様が、
 It's not mine to throw away.
と言って、捨てることに難色を示したことから、このエッセイの物語が始まりました。
「すぐ捨てる」という判断をし、実際に「捨てる」という行動を取ることがbeing responsibleな行為である、とBeltonさんは主張します。
奥様は、たとえ穴の開いた靴下といえ、すぐに捨てるということは「自分のものじゃない」ので、できない、と言い張ります。
結局、奥様が主張するように、しばらく靴下を柵の上において、通りすがりの人に見てもらい、数日の期間を置く、という処置をとることにします。
最初、イギリス人のBeltonさんは、そのような奥さんの判断を、「決断力なさの日本人の習性」と考えます。
日本人って、なんと決断力がないのか!と。Beltonさんは、そのことを奥さんに問い詰めます。奥様は
 Being Japanese is not something that you can explain.
 It's a feeling. A state of mind.
だと答ええます。
Beltonさんは、その言葉を突き詰めて考え、次のように結論します。
 All she had really done was ’place the problem on a table’
 so that other people could provide their opinion.
どんなに小さいことでも、周知し、みんなの意見を聞き、(ちょっとの時間や日を置いてから)最終的な結論を出す、という日本的な習慣(文化)を、social responsibilityの伝統だと結論付けるのでした。
この事例では、「穴のあいた靴下」という、とってもマイナーな“問題”でしたが、同じ心理は、会社の重要な会議でも、起こっていることだと、想像できます。
英文は、簡単です。でも、深読みしないと、なかなかBeltonさんの意味していることが理解出ません。
私は、思い出しました。1400年も前の、聖徳太子の「17条の憲法」の中に「重要なことは、みんなで話し合って決めなさい」という言葉です。
穴の開いた靴下の処理に関しても、「みんな、どう思うかな、捨てもいいですか、、、、、」と、意見を集めようとする庶民の行動に、聖徳太子の精神が生きている(?)のかもしれない、と。
ところで、Beltonさんは自省します。
 I am under the control of my British state of mind. と。この am をどう訳すか。
中学で最初に習う英語: I am a boy.(わたしは、です、一人の少年)この am は「です」です。
昨日、メンバーの一人が、昔の哲学者が言っていました、と言いました。
 I think, therefore, I am.
と。これは「我思う、ゆえに我あり」の英訳です。
そうです。この am は「あり」、「存在する」という意味なのです。
上のBeltonさんの意味は、「私は、、、、、のコントロール下にあります」と。「です」ではなく「ある」(存在する)という意味です。
哲学まで勉強する昨日でした。

世話人:貞安 記事:鶴本