11月1日は第一月曜日。「若葉」の勉強会がありました。
今、読んでいるテキストはクリストファー・ベルトンというイギリス人で、長く日本に住んでいる方のエッセイです。
オリジナルのエッセイの単語数は10,440語で書かれているのですが、私たちが使っているテキストはその簡易版で、約1,600語の単語で、書き替えられています。
まあ、中学卒業時の平均的な単語数(覚えているとしたら、、、、)です。
中学の卒業って、遠い、遠い昔です。そんな時の事、ほとんど覚えていませんよね。まして、英語の単語なんて。
そうなんです、結構“読み応え”がある文章です(易しくない)。
前回も書きましたが、穴の開いた片方の靴下を見つけた後、すぐ捨てていいものなのかどうか、ベルトンさんの奥さん(日本人)と、イギリス人のベルトンさんとのやり取りが内容です。
ベルトンさんは、すぐ捨てるべきだと主張します。それが、拾った人の「責任ある行動だ」と。responsibilityある判断とは、そういうものだ、と主張します。
一方の奥さんは、「捨てるなんて、できないよ」と言います。
It is not mine to throw away. と。
結局、ベルトンさん夫婦は、近所の人に聞きまわったりして、持ち主を探し出そうとしますが、やっぱり見つかりません。
考えあぐねて、通りすがりの人が見えるように、庭の柵の上にかけて置くことにします。でも、やっぱり、誰も靴下を持って行こうとはしません。
根負けした気持ちで、とうとうベルトンさんは、ついに、靴下をゴミ箱に捨ててしまいます。
日本人の奥さんは、ちょっと不満でしたが、まあ仕方ない、と妥協します。
イギリス人にとって、すぐ判断して、すぐ行動に移すことが responsible な行動だ、と考えます。ですから、奥さんの「捨てられない」行動が不思議だ、と悩むのです。
私たちは、よく道路わきの柵の上に、赤ん坊の靴下とか、子供の帽子とか、その他、ちょっとした物が置かれているのを目にします。「あっ、誰か、落としたのね」と考えます。
落とした人が後で探しに来て、見つけるといいよね、という心遣いだと思います。ごく日常的なシーンです。
そうなんです。このテキストの奥さんのように、It is not mine, so I can't throw it away.
と、日本人は考えるわけです。まあ、しばらく、柵のうえに置いてあった後は、誰かが捨てることもできる、、、、と。
ベルトンさんは、暗黙の日本的、社会的規範について、イギリス人らしからぬ繊細な神経を持って、長々と考え続ける人のようです。
とまあ、こんな具合なので、英文も、その表現がしつこく、結構、難しいです。っと、メンバーのお二人は言っています。
世話人:貞安 記事:鶴本